感想文:3.6/5.0

ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)の新たなヴィラン?な作品。単体作品すぎたけど、ソニー作品の方向性が変わってないことに安心しました。

『スパイダーマン(2002)』から続くSSUの問かけ。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」という信念がスパイダーマンをヒーローたらしめている。そこに善悪の区別なく、決めたのはピーター・パーカー自身である。善悪が分かれるマーベル作品と違い、善も悪も受け入れるのがソニー作品の良いところ。

クレイヴンはヴィランに分類されど、やってることは悪党退治。それに、「弱きを助け強きをくじく」がヒーローの共通項だろうけど、本作は真逆の問を投げかける。クレイヴンはマフィアのボスを父に持ち、「弱肉強食」を教え込まれる。それはヒーローが理想とする信念じゃないけど、逃避した先の大自然すら「弱肉強食」を肯定した世界だった。コミックと現実、これはご都合主義的に善悪が対立するマーベル作品で描けない部分でしょうね。

スパイダーマンは親友がヴィランになっても戦うし、
ヴェノムはヴィランと言われても世界を救う。

ソニー作品はスパイダーマンの頃からヒーローになる過程でなく、ヒーローを選ぶ過程を描いている。

本作に登場する男はみなカッコいい。

アーロン・テイラー=ジョンソンは自然体だった。善を押しつけるでもなく、悪ほど腐ってもなく、動物の守護者にして、家族想い。身体能力全開のパルクールと刃物による戦闘スタイルはまるでアサシンのよう。ラッセル・クロウはマフィアというアンチヒーローな現実主義がいかにも父親らしい。フレッド・ヘッキンジャーは人間的だった。感情的で脆いけど、非暴力的で社交的。みな、三者三様のカッコよさがあった。

物語:0.3/映像:0.3/主演:0.4/リピ:0.3
結末:0.4/音楽:0.3/助演:0.3/満足:0.3